誰かが書いていたんですが、2月頃から春にかけてってメンタルクリニックが混む季節らしいんです。
まさに今、私のメンタルもとっても不安定で自分でもどうしていいかわからない状態なのを思うとその通りだな。
そういえば、昔一度だけメンタルクリニックに本気でかかりたいと思ったことがありますが、あれも2月頃だったな。
散々悩んだ末に、意を決して電話したのに予約が2~3週間くらい先にしかとれないって言われて玉砕した思い出。
受診できないショックが大きすぎて、じゃあ他のクリニックに電話するかとはならずメンタルがおかしくなったまま勤務していました。
医療事故を起こさなくてほんとによかった。
テレビでは働き手不足だって言っていて、外国から労働者を集めようとしています。
うちの近くにもそれっぽい研修施設があって、東南アジアから来たんだろうなって若者がその建物に出入りするのをよく見るし。
でも、ツイッターではバイトの面接落ちたとか、中途採用の面接行ってもバカにされて落とされたとかそんな話ばっかり。
仕事が辛いから辞めたいけど、やめたら次を探さないといけないし、また似たような環境かもしれないと思うと辞められず、メンタルおかしくしながら働いている人がたくさんいる。
今日も仕事終わりに泣いちゃったとか、我慢できなくてトイレで泣いたとか読むと、その人の姿を過去の自分に重ねちゃってとっても苦しいし、もらい泣きしています。
私にまた、あの生活ができる?
したくないし、無理だ。
この間、若いお相撲さんが後輩へのいじめで相撲をやめさせられ、元横綱も処分を受けてたとニュースでやっていました。
そこではいじめの内容はあまり触れていませんでしたが、ネットではもう少し細かく書いてあってそれはひどいもので処分は当然だと感じました。
私が気になったのはニュース内で、相撲の有識者として電話で登場したおじさんというかお爺さんの言葉です。
その人が「今の時代に」「今の時代は」という言葉を多用していたことに違和感を覚えました。
つまり「昔だったらセーフだったのにね」ということですよね。
吐き気がする。
こうゆうジジイが世にはびこっているから、いつまでたっても働きやすい世の中にならない。
ジジイが死ねばそうじゃなくなるって昔は考えていましたが、古いジジイが死んでも新しいジジイがその立場になると結局同じになる不思議。
私は若い頃、看護の職場がこんなに働きにくいのは頭の固い看護部長や偉そうにしているおばさん師長のせいだって思っていました。
だから10年20年すれば、そいつらはいなくなるから、もっと働きやすくなるって思っていました。
でも違った。
古い狸がやめていっても、またあらたな古だぬきが現れるだけで何も変わらない。
私の働きにくさは永久にかわらない。
仕事に絶望しました。
最近の現実逃避はブログのことを考えることです。
次はどんな人物相関図をつくろうかとか、
アナリティクスの画面を眺めながら日本のどこかに私のブログの画面を開いている人がいることに感動したり、
アドセンス画面をみながら以前は1日一桁だったのが最近は二桁でうれしいなとか。
現実からなんて逃げれないのに。
スーパーに行くときも、車が暴走してひき殺されればもう終われると思いつつ、やっぱりそんな死に方はいやかもって思ったり。
考えたくない。
一生逃げたい。
地球が一瞬のうちに爆発して地球人がみんな即死すればいいのに。
そしたら私の悩みもなくなって楽になる。