ひとつ前のブログで呪術廻戦のことを書いたばかりだというのに、また呪術廻戦のことを書きます。
前回はアニメのことでしたが、今回は本誌のことです。
だって、これが書かずにいられるかってのよーーーー。
水曜日に早バレを見てしまいました。
その時から、あの事実を心が受け入れないという状態でずっといました。
絵の上手い人が創作した偽物だという可能性もあるじゃないですか。
そんなことはないとわかっているのに、だって、あんな展開、到底受け入れられない。
そして、ついに日曜日の夜中。
(゜-゜)
ちょっと、無理なんですけど、、、
無理なんですけど!!!
さとるがし、し、しんじゃうなんて。
はじめに見たときはとにかくショックでした。
思考停止状態で、悲しいとかつらいとかいう感情もわかないほどに衝撃を受けました。
だって、さとるは最強なのに。
ユージにも言ってたじゃん、「勝つさ」って。
なのに、どうして、、、
そんな予感がなかったわけではありません。
全体の話の流れを考えると、さとるが負けないといろいろ都合が悪そうだったし、
誰もが勝った、助かると思った次の展開で崖から突き落とすという手法をこの作家さんはよくやっているし。
でも、それでも、さとるには勝ってほしかったし、生きていてほしかった。
ただショックはショックなんですが、少しして落ち着いてくると自分でも不思議なことに思ったほどではない感じです。
映画ですぐるが死んだときや、玉折ですぐるが離反したときのほうがつらかった。
すぐるの気持ちを思うとつらかったし、それをさとるがどう受け止めたかを考えるとよりつらかった。
おそらくすぐるはさとるにとって初めての友達だっただろうし、少なくとも高専の4年間は楽しく過ごせると思っていただろうに、すぐるは犯罪者になりさとるから去って行った。
突然おとずれたすぐるのいない日々をさとるはどう過ごしたんだろう。
すぐるにとどめをさしたときも、さとるは何を考えていたんだろう。
それを思うと心が締め付けられるようです。
でも、今回は闘いに負けてしまったけど全力でやり切ったうえでの負けであり、さとるは納得している。
負けて死んじゃったけど、さとるの心は晴れやか。
さとるが受け入れているから、私もそれでいいって思えるのかも。
さとるが死んで思い起こしたのは高専時代のすぐる、ナナミン、灰原君で、自分自身もその頃の自分。
あー、さとるはやっぱりあの頃が楽しかったんだろうな。
しんじゃったけどみんなの元に行けてさとるは幸せなんだろうなって思いました。
ツイッターでは生徒たちのことを何も考えないなんてひどい奴だって意見もあったようですが、私はそうは思わない。
さとるは先生として生徒たちのことを考えて生きてきたと思うから。
私は自分が死ぬときに思い浮かべることを決めています。
昔、図書館でたまたま読んだ本に書いてあったことにすごく心惹かれて、私もそうしようって思っているんです。
死んだら暗いなかをどこかにむかって歩く自分。
その暗闇の中を歩いて行くと向こうの方にぼんやりと明かりがみえてくる。
そこには家があって、オレンジ色の暖かい光が窓から漏れている。
家に続く道には両サイドにぽつぽつと明かりがともり、家まで導いてくれる。
そして家についたら亡くなった母が出迎えてくれる。
そんな場面。
さとるが最期に思い浮かべたのが高専の時の仲間ということは、あそこがさとるのかえりたい場所だったんだなって思いました。
そのなかでもすぐるを一番に思い浮かべたなんて、泣ける。
すぐるに背中を叩いて欲しかっただなんて、うわーん😭
やっぱりすぐるはさとるから離れちゃいけなかった。
さとるがどんなにすぐるを必要としていたか、あの頃のすぐるに気が付いて欲しかった。
ツイッターでいろんな人がいろんな感想を述べていました。
みんな短い言葉で端的に自分の考えを述べることができていてすごい。
自分の言葉の使い方がつたなくて恥ずかしくなってしまいます。
それに、自分には考えつかなかったことをいろんな角度から気づかせてくれる。
ツイッターすごい。