なすみの日常ブログ

アラフォー独女のぼっち生活

不安が渦巻いて

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一昨日、公開した記事は泣きながら書いては休憩し、読み返して泣いては休憩して書き終えました。

すごく疲れた。

お昼過ぎに書き終えて公開したのですが、その後もしばらく泣いて過ごしました。

泣き止んでからも頭が重いような痛いような感じだし、目の奥もだるい、それに涙を拭くときにこすっていたようで目の周りもヒリヒリして最悪のコンディションでした。

泣いてストレス発散をするという涙活という言葉もあるようですが、私の場合は泣いても全然ストレス発散になりません。

精神的なストレスに加え、身体的なストレスも追加され余計にストレスがたまりました。

ただただ疲弊しました。

 

私にとって春は憂鬱の入口ですが、そのどん詰まりは「未来に起きるだろうことを考えて不安を増幅させてしまう」こと。

もし病気になったら、

死ぬことになったら、

身体が動かなくなったら、

きっと独りでいたことを後悔するって思います。

 

独身の有名人へのインタビューで「死ぬときは一人がいい。家族に看取られたくない。」みたいなことが書いてある記事を読んだことがあります。

まだ、40代くらいの男性でした。

なんだか自分に酔っているような雰囲気が記事からにじんでいるような気がして全く共感できませんでした。

息を引き取るときに一人がいいということは、そのような状態になる前の段階でも家族に関わって欲しくないというようにも取れます。

まだ、40代と若いし多分、想像だけで話しているんだろうなと感じました。

命に関わる病気になったとき、後遺症で介護が必要な身体になったとき、どのような生活を送ることになるのかきっとわかってない。

そんなときに身の回りのことしてくれる人がいるということがどんなにありがたいか、自分のことを気にかけて心配してくれる人がいることがどれだけ心の支えになるか。

病気になると身体もそうだけど、気持ちも通常の状態ではいられない。

そんな状態で自分で自分を取り巻く全てのことをするなんてできません。

 

家族がいないってこういうことかと、ことあるごとに思い返す事例があります。

私が病棟で働いていた時に入院してきた患者さんのことです。

その患者さんは自宅で発熱、倦怠感もあり動けなくなっているところを訪問してきたヘルパーさんに発見され入院しました。

その患者さんには家族はおらずほんとの独り。

身元引受人は役所の福祉担当でした。

はじめは話したり、フラフラながらも歩けていました。

入院すると発熱の原因を探るためにまずは一般的な検査をします。

しかし、この患者さんの場合、検査しても原因がわからない。

日々、検査が追加されますがそれでも原因はわかりませんでした。

私が当時働いていたのは「一般病院」とよばれる病院でした。

もうこの病院では対応できないから、専門病院に転院して(歩けないため外来通院できないから)調べてもらうしかないということになりました。

しかし、運が悪いことに転院先の医師が学会で不在になるためしばらく受け入れなれないという返答です。

そうしているうちにも、その患者さんは1日1日と言葉が不明瞭になり、歩けなくなり、自分で身体を起こすこともできなくなっていきました。

そしてやっと、その専門病院にかかり、原因が判明しました。

その治療費は高額な費用がかかるということでした。

ここまで、たしか約1か月。

最終的には、総合的判断で病気の治療はせず対症療法(症状に対する治療、例えば熱がでたら熱をおさえる等)のみの対応となりました。

誰も口には出さなかったけれど、もっとはやく病名が判明していればその治療で回復を望めたはず。

しかし、身体を動かせなくなった現状では治療をしても動けるようにはならないだろうから対症療法になってしまった。

私の知るその患者さんの最後の姿は自分では指1本動かせなくなり、寝たきりで、言葉も発することができず、まばたきの反応しかできなくなってしまった姿です。

そして、その患者さんは長期に療養ができる病院へ転院していきました。

 

もし、その患者さんに家族がいたら、寝たきりにならずにすんだのではないかと思わずにはいられない。

家族がいればどんどん動けなくなっていく患者さんを心配し、医師に訴えたと思うのです。

医師も人間ですから家族にうるさく言われたら、早く行動しようと思います。

出来る限りの検査をしても原因がわからないという結論をもっと早く出せたのではないか。

転院も第一希望がすぐには無理なら待つのではなく、他の病院を探したのではないかと思うのです。

または、家族自身が病院を探して医師に提案できたかもしれない。

病気に対する治療だって、家族が望めばできたかもしれない。

「治療費が高額だから」って小耳にはさんだけれど、珍しい治療でもなかったし保険適用外ではなかったはず。

いろんな制度を利用すればできない治療ではなかったと思う。

 

もし、あの患者さんのように自分がなってしまったら・・・

怖い。

ものすごい恐怖を感じる。

 

数日前にコロナ重症患者へ肺の生体移植が行われたというニュースを見ました。

肺を提供したのは患者さんの配偶者と子供です。

その患者さんは肺に重大なダメージを受けており、もう移植しか治療方法がなかったと書いてある記事を読みました。

もし、その患者さんが独身だったら・・・

ドナーを待つ間に亡くなっていたかもしれない。

家族がいるかいないかで、生死にかかわる。

 

 

そんなに不安なら、今からでも伴侶を探せばいいって自分でも思います。

でも、考えるのと実行するのには天と地ほどの差があって、できない。

私にはできない。

先のことを考えて不安になり、現在の生活がまともに送れないのも問題です。

でも考えずにはいられない。

 

何が言いたいかよくわからない記事になってしまったのは、自分の頭の中がよくわからないことになっているからだと思います。

まとまらないけど、終わります。