「ぺっちゃんこ」の続き
10数年前、母が亡くなったのが春でした。
春になると、その時のことを思い返してしまいます。
母はガンにかかっていました。
病状の経過から考えれば長くないってことはわかっていました。
けれど、抗がん剤が効かなくなり、
病状が目に見えて進み、
身体が動かなくなって、
痛みが出てきて、
という経過を見るのはつらかった。
母が体調を大幅に崩したのはお正月休みにはいってからでした。
それまでは倦怠感や疲れやすさはあったものの、職場のサポートもあって勤務時間を短縮してもらい仕事に行っていました。
でも、お正月休みにはいってから明らかに身体が動かなくなってしまっていました。
私は毎年、お正月は仕事を入れていて実家に帰っていませんでした。
子供や配偶者のいる人はお正月は仕事を休みたいだろうと思うから、独身の私は仕事してもかまわないと思ったからです。
しかし、この年はお休みをもらって帰省しました。
家に帰って、母がぐったりしている姿を見て「あ、ついに動けなくなってしまった。」とすごくショックでした。
お正月以降、
母は仕事を退職し、自宅療養へ、そして入院。
入院後も自宅に帰れるときは帰りたいという母の希望を病院が受け入れてくれて、頻繁に外泊もしていました。
入院すると普通は一定以上は外泊はできません。
ただ、いろいろ幸運な条件が重なって病院がそれを受け入れてくれました。
はじめの頃はタクシーで、座っていられなくなってからは民間救急で外泊していました。
そして、4月の半ば頃、春らしい穏やかに晴れた日に母はなくなりました。
母は母が勤務していた病院に入院していました。
母を診てくれていたお医者さんも、看護してくれた看護師さんもみんな母の同僚でした。
病院から自宅に帰るときもみんなが見送ってくれて、いかに母がスタッフに思われていたかということを感じました。
春になるとこの一連のことを思い出します。
今の私を母が見たらどう思うだろうか。
母が亡くなったとき、母に恥ずかしくないように生きていこうと思いました。
でも、今の私はどうでしょう。
無職だし、仕事に対するやる気もなくなってしまった。
私が看護師になったときにすごく喜んでくれた母の姿が今もつい最近のように思い出されます。
こんな自分じゃ母に顔向けできない。
でも、自分でここから這い出るにはどうしたらいいか、もうわからない。
昨年と今年、お彼岸過ぎに父とお墓参りに行きました。
お彼岸過ぎに行くのは、桜がきれいに咲いているときに行きたいという父の考えからです。
それに、お墓参りはきちんとお彼岸にする人が多いようなので、それを過ぎると人もまばらになるからです。
実際、父とお墓参りに行ったとき、広い敷地内でお墓参りしている人は数組でしたが、6・7割くらいのお墓にお花が供えてありました。
母のお墓のある霊園はその敷地を囲むように桜が植えてあります。
霊園内にも植えてあり、満開の頃に行くとすごくきれいです。
桜を見ると、母が車いすに乗って病院の敷地内にある桜の木の下で撮った写真を思い出します。
私はその場にいませんでしたが、私が買った桜色の帽子をかぶって写真におさまっていました。
あの時の桜を母はどのような気持ちで見ていたのだろう。
今年の桜が最後の桜って思ったのだろうか。
母が亡くなるまではただきれいだなって思って見ていた桜も、それ以降は、今年の桜が最後の桜になる人もたくさんいるんだろうなと思うようになりました。
桜はきれいだけど、なんか哀しいと感じるようになりました。
お墓参りをして、強く思うのは「人間はみんな死ぬ」ってことです。
当たり前のことだけど、普段はあんまり意識していないこと。
私はこれからどのように老いて、死んでいくのだろうか。
普通は、配偶者がいて、子供がいて、友人がいて、
いろんな人に囲まれて生きて、そして死んでいく。
でも、私は・・・
春になり、母のことを考え、そして自分のことに考えが至る。
春は憂鬱の入口
普段は書いた文章を何回も読み返して、文章が変じゃないか確認しています。
でも、今回は泣きながら書いて、読み返しても泣いてしまってあんまり確認ができませんでした。
だから変な文章になっているかも。