無職の引きこもりで単調な生活を送っているのでブログに書くことがありません。
ということで過去の話を書こうと思います。
メンタルに悪いのでこれまで避けてきた働いていた頃のはなしです。
今回は私が病院を辞める時のことを書きます。
病棟の意向にそうかたちではなかったので、ものすごく責められました。
あまりに攻撃的な態度に出られたので、私も応戦してしまった。
退職が決定するまでにものすごくエネルギーを消耗しました。
私はかつて看護師として病院で働いていました。
どこの病院でもそうだと思うんですが「辞めます」って言っても、とにかく引きとめられます。
私のような無能な看護師であっても、無難に業務をこなせるようになった人間が辞めるのは困るんです。
なにせ万年、人不足ですから。
特に病棟は夜勤ができる人材が減ると困るので師長も必死になります。
それでも「体調不良」「家族の都合」「もっと看護について学びたいから」等、看護部が認めるような理由があればそこまで抵抗されることなく説得できる。
ある先輩は「親の介護のため」と言ってスムーズにやめていきました。
実際はそれは嘘で「本当はここがイヤだからやめるのよ、ハハハ」って笑っていました。
そして看護部が絶対に認めない理由は「ここではもう働きたくないから辞める」こと。
仕事を辞めるのに、なんで理由を説明しなきゃならないんだって思います。
親の介護のために辞めようが、辞めたいから辞めようが辞めることに変わりはないのに。
師長に報告する前からわかっていたんです。
「もうこの病院にいるのは限界だから」と言ったら師長がどんな反応をするか。
でも私はどうしても嘘がつけませんでした。
師長からみた私は非常識なスタッフ
師長からしたら寝耳に水だったことでしょう。
私が辞めると言い出すなんて夢にも思っていなかったに違いない。
そりゃそうだ。
辞めると伝える以前、そのようなことを師長に相談したことなんて一度もありませんでした。
それに主任、副主任、チームリーダーといった病棟内の役職者にもやめようと思っていることは一切話しませんでしたから。
私からすれば彼女たちは相談にあたいする人物ではなかった。
看護師としては頼りになるし尊敬できる先輩たちでしたが、上司としては尊敬も信用していませんでした。
私が師長に辞めたいと伝えたのは年末か年始の頃だったと思います。
噂では辞める1年前くらいから師長と何度も話し合いをして、やっと辞める許可がおりると耳にしていました。
3月末で辞めた他の2人は4~6月の間に何度か面談をして辞める許可をもらっていたらしいです。
それを思うと辞める3か月前に言うなんて師長からしたらあり得ない行為だったことでしょう。
師長との面談
1月に3回か4回、師長と面談をしました。
絶対に辞めたい私 vs 絶対に辞めさせたくない師長
何を話してもお互いが納得する落としどころなんてありません。
穏便に話をすすめたかったけれど、そうはいきませんでした。
辞めたいって言うなんて自分や病院に対する裏切り行為だと師長は思っているようで面談の間中ずっとせめられました。
私からしたら、自分の人生をどう歩むかは自分の自由なのになんで赤の他人にごちゃごちゃ言われなければならないんだとムカムカしていました。
そりゃ1週間前に突然辞めると言い出しとかか、突然出勤しなくなりそのまま辞めるとかなら責められても当然です。
でも私は3か月前に退職したいと言っているんです。
きちんと余裕をもって言っているんです。
ついに師長の言い分に我慢できなくなり言い返してしまいました。
一度タガがはずれるとその後の制御は難しい。
基本的には大人しく従順な性格の私ですが、病棟の荒波に何年ももまれているのです。
それなりには我が強くなってしまったのです。
言われっぱなしにはなりません。
後から思えば言うつもりはなかったことも口からついて出てしまいました。
面談は殴り合いという様相。
地獄ですよ。
その場では気を張っていましたが、家に帰ると悲しい気持ちが溢れて泣いてしまいました。
あそこまで言うつもりじゃなかったのにと反省したりもしました。
そして、辞める意志はさらに強固なものとなりました。
具体的な面談内容
面談で聞かれることはある程度想像できたので、前もって答えを考えておきました。
でも一番大切なのは「絶対に辞める」という強い気持ちです。
少しでも迷っている素振りを見せたら、向こうも絶対に手を離しません。
覚えている範囲で話し合いの内容を書きだすと以下の通りです。
どうして辞めたいの?
↓
この病院で働くことが体力・気力ともに限界だからです。
私の貧弱なメンタリティで、この厳しい環境のもとこんなに長く働けるとは思っていなかった。
長くても3年、短ければ1年でギブアップするだろうって思っていました。
私は十分頑張りました。
これ以上はもう無理です。
辞めてどうするの?
↓
どうするかは辞めてからじっくり考えます。
仕事で体力・精神力を消耗しきっているので休みの日には1日中寝ています。
なので現状では日々を乗り切ることで精いっぱいで、今後のことを考える余裕が一切ありません。
(そもそも私が辞めてどうするかなんてあなたに関係ない)
そんなんで辞めていいの?
↓
そんなだから辞めたいんです。
この病院にいてもひたすら業務をこなすだけで、やりがいを感じることがなくなってしまった。
かつてはあったんです。
しかし、今はやりたい看護や達成したい目標もありません。
(は?だからおまえに関係ねーだろが!!)
もう来年度のことも決まっているのに。
↓
そうですか。
(来年度のことで私が師長と約束したことは何もないし、知らねーよ)
(11月頃に来年度の新人指導の研修に行かないかと言われましたが、その場ではっきりと断っています)
あなたのことは○○さんから頼まれていたからすごく気にかけていたのに。
↓
そうですか。
それはありがとうございました。
(私は気にかけてもらっていると感じたことは一度もありませんでした。)
(私が前に所属していた病棟の師長から頼まれたらしい。ちなみにその師長は現師長の元上司)
10月頃、様子がおかしかったけど最近は元気そうだったのに
↓
あなたには言いませんでしたが10月頃に燃え尽き症候群のようになり、仕事に対するやる気が突然消え失せました。
仕事だけでなく自分の生活や将来も全てがどうでもよくなってしまった。
そんな心理状態が表にあらわれて様子がおかしく見えたんでしょう。
その後元気になったのは、病院を辞めるって決心したからです。
もとの病棟に戻りたいなら戻ることもできるわよ
↓
そもそもこの病棟に移動してきたくなかったし、そのことは前の師長に強く訴えました。
しかし、決定は覆らず業務命令だと強制された。
強制されたことに対して病院に不満があるし、今更戻りたいとも思っていない。
いつから辞めたいと思っていたの?
↓
この病棟に移動させられた時からなんとなく思っていました。
最終的に決心したのは11月頃です。
(厳密にはもっと前から辞めたいと思っていたが、前の病棟の師長がいい人だったし同僚にも恵まれており、その環境を手放しにくいと思っていたから行動にうつせていなかった)
実際の面談では考えていたようにうまくは話せませんでした。
師長がだんだん感情的に物を言うようになっていったので、私もつられてしまった。
だから、考えていたよりも感情的になってしまったし、言葉も乱暴になってしまいました。
それでも言うべきではないこと(カッコ内に書いた私の気持ち)はなんとか飲み込みました。
師長的には最後の質問に対する答えが一番気に食わなかったようです。
「そんなに前から・・・」って絶句していました。
でも、よく考えて。
私は強制的な病棟の移動に納得しないまま移動してきたんですよ。
その時点で、もう辞めようって思ったって不思議じゃないでしょうが。
何を言っているですか?
最終的には師長がおれました。
本来は師長面談のあとに看護部長とも面談をして看護部長が最終的に退職の許可を出すらしいです。
しかし私は看護部長とは面談をしませんでした。
面談の内容は師長が看護部長に逐一報告していたそうです。
看護部長は師長からの情報で私の辞める意志はかたく、部長面談したとしても覆ることはないと思ったのでしょう。
2月の初め頃にやっと私の退職は認められたわけです。
有給消化ゼロ
あまり期待はしていなかったけど、まさかゼロとは思いませんでした。
3月31日まで普通にシフトを入れられていて、有給は1日も消化できませんでした。
他の2人は4日くらい消化してましたけどね。
もとから有給をとらせてくれない病院でした。
私はこの病院に社会人1年目から勤めていましたから、世の中そんなもんって思っていました。
まるまる30日間の有給をドブに捨てることになりましたが、めんどくさくて何も言いませんでした。
もうやめるんだから、どうでもいいって思ったんです。
最後の一か月
3月の半ばくらいにちょっと厄介な患者さんが入院してきました。
誰もがめんどくさいって思うような患者さんです。
確実に4月いっぱいまでは入院しているであろう病状。
正直、私はもう辞めるからめんどくさい患者とのかかわりは少しですむのでラッキーって思いました。
もちろん口には出しませんが、考えることは誰でも同じでしょう。
そこで師長が辞める直前の私に言った言葉を紹介します。
面談の時も意味がわからないことをたくさん言われたけど、これが一番意味不明だった。
「Aさん(患者さんの名前)はこれからが大変なのに、見放すんだね」
↓
は?
私にとってAさんはただの患者さんでありそれ以上でも以下でもない。
私が辞めることが決まったとき、Aさんは入院すらしていませんでしたけど?
Aさんがイヤで辞めるわけじゃないんですけど?
私が辞めることがあまりに悔しくて師長はまともな思考ができなくなったんでしょうね。
おそらく私に対してなにか嫌味を言いたかったんでしょう。
私が罪悪感を感じて苦しむようにしたかったんだと思います。
でも、思い浮かばなかった。
やっとのことでひねり出したのが「見放すの?」だったんでしょうね。
でも、意味不明すぎて、返す言葉もありませんでした。
イヤらしいですねぇ。
ザ・看護師って感じです。
そして無事に3月31日を最後に病院を辞めました。
最後にお約束の花束と色紙をもらいましたが、心がこもっているように思えなくて全然嬉しくなかったです。
退職後
3月31日を最後に2度と病院には行きたくなかった。
しかし、4月にもう一度だけ、個人的な手紙とお礼を配りに病院に行きました。
お世話になった先輩や仲良くしていた後輩もいたので、彼女たちにきちんとお礼がしたかった。
どうしようかすごく迷ったけど、師長にも一応お礼を渡しました。
私は感じなかったけど、彼女なりに私を気遣ってくれていたらしいから。
そしたらビックリしてた。
まさか私からお礼されるなんて思っていなかったんでしょうね。
師長は「私も手紙を書こうかなって思ってたんだけど、まだ書いてないの」って言っていました。
だから手紙が届くのを待っていたんですが、結局きませんでした。
どうした?
めんどくさくなった?
お手紙楽しみにしていたのに。
まあいいか。
私が望むのはこの病院が不幸に見舞われること
私は今でもこの病院を恨んでいます。
新卒で就職して、理不尽な病院独自の暗黙のルールにも逆らうことなく真面目に頑張って働いていました。
残業代がなくても、有給をもらえなくても何も言わなかったし(言えなかっただけだけど)。
それなのに最後には裏切者扱いされ有給ももらえなかった。
この病院が不幸になればいいのにって思っています。
不祥事をおこして謝罪会見が開かれるようなことがおきればいいのに。
最近この病院のことを調べてみました。
何か事件が起きてないかなと思って。
そしたら、私が辞めた数年後にまあまあな事件が起きてました。
人的な被害はなかったようで大きなニュースにはならなかったようですが、記事の内容を想像すると大変だったに違いありません。
心の中でザマぁと思いましたよ。
ケケケ。
よりいっそうの不幸を願っています。