一番安全で安心できる場所
家の中に一人でいることが私にとっては一番安全だと感じます。
誰にもわずらわされないで居ることのできる安心の場所です。
前回、前々回の記事に書いたように外に出て他人と会うとろくでもないことがおきます。
そのことで精神的に打ちのめされました。
たまたま、運が悪かったというだけかもしれない。
でもこの経験が
「外はこわい、ずっと家にいたい、誰にも会いたくない」
という私の考えを強固にしたなって感じます。
世の中には外出できないことが苦痛に感じる人や、他人と話すことができないことにストレスを感じる人がたくさんいるみたいです。
私の中にはない感覚です。
誰とも会わず、誰とも話さないことってそんなにストレスになるものなんだ。
それなりにやってこれたとは思う
一番はじめに自分が人間関係を築くのが苦手かもって思ったのは小学校6年生のときでした。
新しい環境に自分をならすことができず、ちょっとだけクラスで浮いていました。
完全に孤立してもおかしくなかったけど、一部のクラスメートの気遣いによって独りぼっちになることはありませんでした。
それ以降は孤立することなく、学校や職場に所属していたときは友人と呼べる人もいたし、同級生や先輩、後輩、同僚や上司ともそれなりにうまくやってこれたって思います。
でも、自分で「ここまで」っていう線をひいちゃってそれ以上踏み込めないし踏み込ませないようにしてしまう。
気がついたらそうなっていました。
友人関係が切れてしまった経験
大人になってからずっと仲良くできるって思える友人(Kちゃん)ができたときは心の底からうれしかった。
でも、私が転職し、引っ越しをしたことで物理的に離れてしまった頃からKちゃんの気持ちは少しづつ離れてしまったみたい。
引っ越すといっても駅4つ分くらいだったし私は大したことのない距離だと思っていたけれど彼女はそう思わなかったみたい。
引っ越すこと伝えたら、すごくがっかりされてしまった。
でも引っ越してからも遊んだり、電話やメールでのやりとりがあったから、やっぱり距離なんて関係ないって思っていた。
ある時、ちょっとしたことで気持ちがすれ違ってしまったことがあった。
しばらくして、もう大丈夫かなって思って連絡したら連絡がつかなくなっていました。
Kちゃんから切られてしまった・・・。
この時、すごくいろいろ考えた。
私にとっては大したことのないことって考えたことが、Kちゃんにとってはすごく大事なことだったのかもしれない。
私って他人の気持ちを思いやるってことができない人間なのだろう。
ほんとはもっと前に私との関係を切りたかったのかもしれない。
過去の仕事のせいで人間嫌いに
私は以前ナースとして働いていました。
高齢の患者さんが多い病院で、病気、認知機能の低下によってコミュニケ-ションがスムーズにとれない人もたくさんいました。
会話が通じないのは彼らの人間性ではなく加齢または病的な身体的変化によるものだってわかってはいても、ストレスはたまる一方だった。
患者の家族も理解をこえる訴えをする人達が高頻度で出現して私を苦しめた。
もちろんそんな人ばかりではなく普通に会話できる患者さんもいたし、礼節を保っている人もいました。
自分もつらいだろうに人を気遣える強い人もいて、見習わないとって襟を正すこともあった。
でも仕事をやめて誰とも会話しなくてよくなったとき、すごくほっとした。
もう理解不能な訴えに耳を傾けなくていいし、いつまで続くかわからない壊れたレコードのような永遠リピートのクレームも聞かなくていい。
すごく開放された気分でした。
一人は寂しい、一人は楽
人間関係をもつことが自分に良い効果をもたらすことも知っています。
イヤな人間関係もあれば良い人間関係もありました。
新人の頃、つらいことがあっても仕事をやめず乗り越えられたのは同期のおかげです。
病気をしたときには職場の同僚に身体的にも精神的にもすごく助けられました。
Kちゃんや学生時代の友人ももう会うことはないけど、すごく楽しい時間を過ごせたことは私の宝物です。
それでも・・・ね・・・。
プライベートでも仕事でも誰とも話さなければ自分の感情を揺さぶられることもなく、傷つけられることもない。
必要以上に恐れることはないってわかっていても、今は人間関係はもうけっこうですって思っています。
過去に書いた今回のことと関係のあるだろう記事
小学校6年生のときのはなし
私にはずっと友人関係が続くと思っていた友達が二人いました。
KちゃんとSちゃんです。
この記事にSちゃんのことを書いています。
いつかKちゃんとのことも書いて、気持ちの整理をつけたいって思います。