なすみの日常ブログ

アラフォー独女のぼっち生活

ドキュメンタリーを見て

 

何日か前に安楽死を取り扱ったのドキュメンタリー番組が放送されていました。

深夜の放送だったので録画するつもりだったのに、すっかり忘れていました。

好きな同人作家さんの作品年表を作るのに夢中になっていたからです。

番組を見逃した理由が、くっそどうでもいい作業をやっていたからなんて。

もうそろそろ寝ないとと思ってテレビを消そうとしたときに、あ!!!!と思い出してチャンネルをまわしました。

最後の5分しか見れなかった、、、

 

 

見逃したのが悔しくて、なんとなくYoutubeで「安楽死」と検索してみたら、ひろゆきの切り抜き動画がいくつかヒットしました。

試しに見てみましたが、ツイッターで日本でも安楽死を認めろと言っている無責任な有象無象たちと同じことしか話していませんでした。

知り合いの知り合いが飛び降り自殺した人の巻き添えになって亡くなってしまったそうです。

こんなことは許せない。

だから、死にたい奴が他人に迷惑をかけて死ぬことはないように安楽死は認められるべきだ。

というのが彼の意見。

これって、電車に飛び込み自殺した人に対してツイッター上で湧いてくる意見と同じ。

この件に関しては浅すぎる意見に見る価値のない動画って思いました。

私はこの意見を見るといつもすごくイヤな気持ちになる。

安楽死ってそんな思いつきで選択するような軽いことじゃないって思います。

 

私は安楽死は日本でも認められてほしいと思っています。

ただ、身体的な疾患があるとか、進行性で死がさけられないものだったり、生活に非常に支障があるとかでかつ本人がそれを希望する場合に限るべきと思います。

飛び降りたり、飛び込んだりして自殺する人の中にもそのような人は含まれると思いますが、どちらかというと精神的な問題を抱えていて突発的にそうする人のほうが多いような印象です。

 

何年か前にALSの女性が二人の医師に殺された事件がありました。

あのニュースを見たときに一番はじめに思ったのは、その女性は願いが叶い二人の医師に感謝しているだろうなということ。

そして、このニュースを見た安楽死を希望する人たちは彼女をうらやましいと思ったに違いないと思いました。

ALSの彼女は独身、生活の全てを他人に頼らないとできない状態でした。

自分で自分のことができないことがどんなにもどかしいか。

私は過去に手術を受けたことがあります。

術後のほんの1日、体が自由に動かせなかっただけでほんとにつらかった。

その状態が死ぬまで続き、しかも徐々に進行していくとなったら安楽死したいと思うようになってもなんら不思議ではないと思います。

 

私は脊損で首から下が動かせなくなった40代の患者さんの看護をしたことがあります。

食事介助をするたびにもし自分がこうなったら生き地獄だなって思っていました。

回復する可能性はなく、日本人の平均寿命まで生きるとしたらあと約40年間この状態。

自分だったら安楽死を望むだろうなって思った記憶があります。

 

 

安楽死のドキュメンタリーはTVarで見れることを知ったので、そちらで視聴しました。

番組に出てきた日本人は二人とも英語が堪能な人でした。

海外で安楽死を希望するとなるとたくさんの障壁があるでしょうが、英語を話せない人にとって言語の壁は非常に高いハードルだろうと感じました。

良子さんはなぜ、途中から取材を拒否したんだろう。

自分が死ぬところは取材されたくないと思ったんだろうか。

それとも安楽死の手続き上、取材されると不都合なことがあったんだろうか。

気になりますが、答えは永遠にわからないでしょう。

もう一人の男性は安楽死の手続きがスイスの団体に通ったことが、安心につながったのかその後に体の調子がよくなったようでした。

たまたまタイミングがそうだっただけかもしれませんが、いつでも安楽死できるというお守りは想像以上に体にもメンタルにもいい方向に作用するのかもしれません。

 

日本で安楽死が法的に認められる日はくるのかな。

いつかは認められると思いますが、おそらく私が生きているうちはないだろうな。

なんとなくそう思います。

 

スイスで安楽死、許可得た男性の思いがけない決意…フジ若手ディレクターが見た“究極の選択肢” : 読売新聞