久しぶりに7時台に起きました。
そして、久しぶりに朝の情報番組を見ました。
Zipとかいつ以来だろう?
theタイムズとか初めて見ました。
「見た」というか「眺めていた」というほうが正しいかな。
仕事をしていた頃は時計がわりにZipをつけていました。
天気予報やニュースをやるタイミングは毎日同じなので、時計を見なくてもだいたいの時間が把握できる。
それにことあるごとに「今、〇時〇分です」とお知らせしてきますから。
ぼんやりとテレビを眺めながら、働いていた頃のことを思い出しました。
2個目の病院の最後の1か月のこと。
精神的にすごく追い詰められてすごくつらかった。
今、思えばあの頃はうつ状態だったと思う。
家にいる時は泣いているか、死について考えているか。
多分今まで生きていたなかで一番メンタルがやばかった。
私は肩こりしない体質みたいでずっと周囲の人の肩こりがつらいという言葉を理解できなかった。
でもこの頃は常に肩が重くてずーんと痛くて、とにかく不快だった。
しばらくしてこれが肩こりだって気が付きました。
30代にして初めて肩こりになった。
仕事を辞めてしばらくしたら、あんなにつらかった肩の不快感は消えていました。
メンタルの不調に伴い身体的にも症状が出たみたいです。
1個目の病院を辞める時もすったもんだしたけど、こんな症状は出なかった。
このことからも、やっぱりあの頃はやばかったなって思います。
病院を辞める日も円満に決定し、あとは適当に仕事をすればいいだけのはずでした。
それなのに。
朝、目が覚めると涙が止まらない。
いろんな思いがごちゃ混ぜになって、もうどうして泣いているのか自分でもよくわからない状態でした。
泣きながらトイレに行って、
ロールパンをかじりながらコーヒー飲んで、
涙よ止まれと思いながら着替えをする。
泣くと目や鼻が赤くなってしまい、泣き止んでもその痕跡が残ってしまう。
だからどうにか泣き止むように頑張ってた。
とにかく「無」になるんだ私。
と自分に言い聞かせて家を出る頃にはなんとか涙をとめました。
ギリギリまで水が入っているコップのように、少しでもゆすればすぐにでもこぼれてしまう。
そんな状態でした。
この頃は冬だったので外は寒く、外に出ると冷気が顔と頭を冷やしてくれました。
当時は自転車で通勤していたのですが、あまり人通りのない道で通っていました。
途中で我慢できずに泣いてしまうこともあったけど、なんとか病院につくまでには感情を無理やり抑え込んでいました。
病院で泣くわけにはいきません。
とにかく何も考えないようにしていました。
同僚の中には様子のおかしい私を心配してくれる人もいました。
でも優しい言葉をかけられたら一気にメンタル崩壊してしまう。
だから話しかけないでというオーラをだして人を遠ざけていました。
私の態度はすごく感じ悪かったと思います。
ズタボロの精神状態なのに、人の目には不機嫌で感じ悪くうつっている。
感じ悪くしたいわけじゃなかった。
みんなには申し訳ないという気持ちが強かった。
そう思っていても、それを伝えることは無理でした。
院内はエアコンが効いています。
半袖のナース服は外来だと寒いかもしれません。
でも、病棟ではあちこち歩き回るし、患者さんの移乗の介助や体位変換等、全身を使うので働いていて寒いと思ったことはありませんでした。
なのに、この頃の私はずっとカーティガンを着ていました。
とにかく寒かった。
カーティガンを着て患者さんの介助はしたくない。
いろんなものがカーティガンに付着してしまい汚い。
わかっていてもどうしても寒くてたまらなかった。
きっとこれもメンタルのせいって思うんです。
メンタルが不安定すぎて自律神経もうまく働かなかったんじゃないかなって。
朝の情報番組って出演者のテンションが無駄に高い。
わかりますよ。
今日も元気に頑張ろう!!っていうメッセージなんでしょ。
それがどうにも耐えられなくなりました。
私は朝から泣いているのに、テレビの向こうには楽しそうなキラキラした世界があるのです。
なんて自分はみじめなんだろうと思って見ていられなくなりました。
でも、部屋がシーンとしていることにも耐えられないからテレビをつけないということもできない。
なので看護師時代の終盤、朝はEテレをつけていました。
頭花君のアニメを死んだ魚のような目をしながら見ていました。
または録画したアニメを再生したりもしていました。
Eテレも朝は同じルーティーンで細切れにコーナーが入れ替わるし、アニメも途中でCMが入るからどのくらい時間がたったのかだいたいわかる。
懐かしい。
それにしても、朝の番組ってつまらない。
アナウンサーがさわやかな笑顔で挨拶をするたびに殺意が芽生えます。