ちょっと前に看護師をくさすようなツイートを見てしまいました。
そして、その日はずっとそのことが頭から離れず、そのツイート内容への反論をずっと考えてしまい気分は落ち込む一方でした。
落ち込んだ気分をどうすることもできずイヤな気持ちのまま眠りにつきました。
しかし、次の日の朝、目が覚めたときに前日とは違う考え方をパッと思いついて少し気分が楽になりました。
そのツイートは医者と名乗る人のもので、
「看護師も研修医2年目と同じくらいの知識を持て。でないと話にならん」というものでした。
患者さんを看護するためには医学的知識は必要です。
しかし医学部に合格し、6年間勉強したのちに医師免許を取得し研修医になった人と同じくらいの知識の量と質を看護師に求めるのはちょっと無理があるのではないかと思います。
圧倒的上から目線で「バカ(看護師)と話すのは時間の無駄だ」と言われているようですごく気分が悪くなりました。
ただ、私の場合、働いていたときに勉強が足りないという自覚もありました。
就職して数年は課題もあったのでそれらをこなすことでなんとか勉強していました。
数年たち、課題が出されることがなくなると勉強する時間も減りました。
でも、遊んでいて勉強する時間がなかったわけではありません。
仕事で体力も精神力も削られ就職した頃にあったやる気が数年経過した頃にはもうほぼなくなっていたからです。
ドクターとの会話で勉強不足を見透かされているなと感じるときもありました。
あのツイートは感じ悪いですが、私にとっては全くのお門違いということでもありません。
心当たりがある痛いところをピンポイントでつかれたから余計に、素直に受け入れられないと思ったのかもしれない。
心の奥底になんかドロドロした得体のしれない何かがあるようでした。
表現することが難しい。
このイヤな気持ちをどのように処理すればいいのか分からず、すごくすっきりしない感じでした。
ベッドに入ってからもモヤモヤし続け、そのまま寝るという最悪な就寝でした。
しかし、次の日の朝、目覚めと同時に「あ、そうではない」と思ったのです。
あのお医者さんの意見は、おそらく医者全員が思っていることだろうと思います。
そのほうが話が早いし、医者の仕事もスムーズに進むだろうから。
でも実際にナースの前で発言しようものなら反感を買うのは必須。
その後の仕事がやりにくくなること間違いなしです。
だから現実の場面では言えないフラストレーションを匿名で発散しただけという話なのです。
この人はツイッターでこのようにツイートしても、現実の世界では言っていいこと、悪いことの分別をつけているんだろうと思います。
そう思ったら、なんだかどうでもよくなりました。
誰だって言いたいけど現実の場面では言えないこと、言わないことってあります。
私だったら心の中で「喫煙者は消えていなくなれ」と思っています。
とにかくタバコの匂いが嫌い。
それに母の病気のことも絡むのでタバコの存在自体もイヤなのです。
でも同僚に喫煙者がいたとしたら、その人に向かっては絶対に言いません。
発言するとすれば、私と同じようにタバコが嫌いな人、またはタバコを吸わない人といるときにしか話しません。
私が普段から思うのは、頭の中では何を考えてもよいけれど、
思ったことをどうするかが問題だということ。
「表にだすのか、出すならどう出すか」です。
お寺の掲示板に似たような標語が書いてあるのをネットで見たような気がします。
(探したけど見つけられなかった)
ツイッターって、現実世界で顔を見て言えないことを吐き出す場でもあると思います。
だから、いろんな人のいろんな本音が見れるのでついあれこれ見てしまう。
高見の見物をしているつもりが、今回みたいに思いがけず流れ弾に当たってしまうこともあるんですね。
またこのように流れ弾に当たってしまうこともあるかもしれないと思いながらツイッターを見ることにします。
誰にも見られていないところで勝手に泥沼にはまり窒息死しかけたけれど、
自力ではい出せました。
この記事を書くのに5日かかりました。
あー疲れた。